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YAPC::Hiroshima 2024のゲストスピーカー・ 曽根壮大さんに聞く「YAPCは人生が変わる場所であり、チャンスだった」

YAPC::Hiroshima 2024にゲストスピーカーとして参加いただく曽根壮大(@soudai1025)さんと、YAPC::Hiroshimaのスタッフであるpapix(@__papix__)が、中四国地域のIT技術者コミュニティの様子やYAPCの思い出・魅力、YAPC::Hiroshimaへの参加を考えている方に向けての思いなどについて、座談会形式で語り合いました。聞き手はtoya(@toya)です。

曽根壮大さん(左)とpapix(右)

初のプログラミング経験と、データベースを専門分野としたきっかけ

――略歴についてはYAPC::Hiroshimaのサイトに載っているのですが、あらためて自己紹介をお願いします。

曽根壮大さん(以下、そーだい) 合同会社 Have Fun Tech代表社員株式会社リンケージCTOの曽根(@soudai1025)です。

僕は異業種転職でプログラマーになりました。高校を卒業して公務員になって、結婚して子どもができて、仕事がちょっとヘビーすぎたので公務員を辞めたんですが、ちょうどそのタイミングでリーマンショックが来てしまいました。

その時、どうにもこうにも仕事がなかったんですよ。ハローワークが開くタイミングより少し後に行ったら「もう今日の受付は終了です」なんて言われて。本当にどうにも働くとこがなくて、ラウンドワンのバイトをしながら派遣先で行ったところが、総務部の一般事務みたいな仕事でした。

全国の支店にある数百台のパソコンを管理する数GBぐらいのExcelファイルがあって、それを起動するのに10~15分くらいかかっていたんです。開発部の棚を見ていたらFileMakerファイルメーカー)の本があって、「これなら管理できる」と言われたので、それを読んで、高校の情報の授業でプログラムを一応やっていたから書けるかも? と思って。初めて業務として0から書いたのが、そのプログラムだったんですよね。

papix それって何歳くらいのことですか?

そーだい 23~24歳くらいです。当たり前ではありますがExcelからFileMakerにするとやっぱりめちゃくちゃ早くなって、それが業務を改善できるという成功体験になりました。「こいつプログラミングできるじゃん」ということで正社員雇用と同時に開発部へ転籍になって、そこで今で言うDevOpsのOps側の仕事をしたのが、エンジニアの仕事の始まりでした。社内SEみたいなことをしていて、そこで出会ったのがデータベースです。

――そーだいさんといえばデータベースですね。

そーだい それが2007~2008年頃の話なんですが、当時は調べてみても地方ではコミュニティもインターネットでの交流もなかったし、Twitter(現X。以下Twitter)もまだ全然使われていなくて、勉強会ブームも来ていなくて、かろうじてShibuya Perl MongersShibuya.pm)があるかな、くらいでした。

そこで仕事をしている時に、たまたま僕の4つぐらい上のすごく優秀な人が、あまりにも誰も何も教えないのがかわいそうだからちょっと教えてあげるよって、データベース、セキュリティ、ネットワーク、あとオブジェクト指向などについて「仕事が楽になるから、最初に覚えた方がいいよ」っていろいろ本を教えてくれて。『マスタリング TCP/IP』(オーム社)も貸してもらいました。

ちょっと勉強したら結構目立って、「俺、めちゃくちゃできるじゃん?」みたいに天狗になった時期があったんです。その時に当時の上司が「面白い人がいるところに連れていってあげるよ」と、連れていってくれたのが、広島県福山市で開催された「オープンラボ備後」で、そこが本当に初めての、エンジニアコミュニティの勉強会への参加でした。

Linuxカーネル界隈で有名なひら(平聡輔)さんが講演をしていて、「Linuxカーネルは使うものだと思っていたのに、作る人が日本にこんなにいるんだ」って、全然知らない世界があることを知りました。懇親会でひらさんに「これから何を軸にやっていくの?」と聞かれて「まだ全然決めてないんですよね」って答えたら、「僕が25歳の頃には、もうLinuxカーネルで生きていくって決めてたよ」 って言われて。ああ、それを決めた方がいいんだなと思って、決めたのがデータベースだったんですよ。25歳からデータベースを軸にいろいろなことを学んでいこうと思いました。たぶんデータベースは今後もなくならないし、ビジネスの中心になると考えて。

――その時にデータベースが軸になったと。

そーだい そして、データベースにもいろいろあるぞと。その時Oracle Databaseを使っていたんですが、ちょうどオラクルがサン・マイクロシステムズを買収したんですよ。Oracle DatabaseからPostgreSQLに乗せ換えるという結構大変な仕事をして、終わった後にこの話を「第15回オープンラボ岡山」で話すことにして、その時に「Oracle Databaseは機能が豊富なのに、PostgreSQLにはあれがない、これもない」というようなことを言いました。当時Oracle使いだった僕が懇親会でもPostgreSQLのことをdisっていたら、PostgreSQLモジュールのメンテナで、日本PostgreSQLユーザ会(JPUG)の理事の大垣靖男(@yohgaki)さんが話しかけてきたんです。

「確かにOracleDBに比べたらPostgreSQLには機能が少ない。でもPostgreSQLOSSだから、自分でパッチを出していいんだよ。自分で開発できるところがOracleDBと違うところだし、ソースコードも読める。エンジニアなんだから自分で課題解決すればいいんだよ」って言われて、「うわ、確かに!」と思ったんです。これが、初めてソフトウェアを本当の意味で「使う側」から「作る側」になった体験です。

そーだい 26歳の時にJPUGに入って、そこでコミュニティの面白さや、自分が世の中を良くしている、貢献しているという楽しさを学んで、勉強会に行ったり開催したりするのが楽しくなりました。

初めての“YAPC”参加で「ベストトーク賞」を獲得

――そーだいさんには勉強会でかなり話されている印象がありますが、JPUGに参加された経験が生きているんですね。

そーだい JPUGには講師派遣の仕組みがあるんです。交通費と宿泊費1泊分が出るんですね。大きいイベントに参加したいと思った時に、僕は当時お金がなくて自分では行けなかったので、前日に何とかJPUGのイベントをやってもらって、講師としてめちゃくちゃ頑張ってしゃべるようになったのが、勉強会でたくさん話し始めたきっかけです。そうするとたまには良い話の時もあれば、ダメな話の時もあって、数をたくさん打っていろいろ回数を重ねて、話すことに違和感がないな、となったのが30歳ぐらいの時です。

当時PHPのコミュニティに行ったら、たまたまuzulla(@uzulla)さんがいたんです。uzullaさんとそこで仲良くなって、uzullaさんが初めて「YAP(achimon)C::Asia Hachioji 2016 mid in Shinagawa」(やぱちー)を主宰するときに「遊びに来てよ」って言われたのが、初めての僕のYAPCみたいなものですね。

YAPCPerlコミュニティも存在は知っていたし、それまでの職歴の中にPerlを書く会社もあったのですが、「遠い存在」って感じでしたね。PerlJavaが遠い、みたいな。僕のキャリアのスタートはJavaPHPで、その反対側にJavaScriptRubyPerlがある、みたいな感じはあったんですよね。YAPC::Asia Tokyo 2015とか1,000人ぐらい集まる規模だったじゃないですか。

papix そうそう、最後でしたからね。

そーだい 遠い反対側の世界だったけど、uzullaさんが「別にYAPCじゃないから気軽においでよ」と言われて行ったのが、初めてのPerlコミュニティの人たちとの出会いの場でした。そこでたまたまペストトーク賞を取れたんですよ。あそこで賞を取れたから世界が変わったなと思っています。

旧・そーだいなるらくがき帳: やぱちーでベストトーカー賞もらって控えめに言っても最高すぎた話

――トークを磨いてきた「トークの達人」のようなイメージを持っていたのですが、「たまたま」と思われているのはなぜなんでしょう?

そーだい まず、トークで賞があるイベントが初めてだったんです。それまでも120人規模の会場でしゃべることはあったのですが、アンケートも取らないし、身内の前というのもありますし。知らない人50~60人くらいの前でしゃべって、それが投票で評価されるっていうのは初めての経験だったんですよね。buildersconの時は「ベストスピーカー賞」を狙いに行って、狙って取ったつもりなんですけど、最初は本当にたまたまですね。

――「選ばれた」瞬間の心情を教えていただけますか?

そーだい ことの大ごとさを分かってなくて、「お、ラッキー」ぐらいの感じでしたね。僕は2日目のクロージングの後、懇親会にちょっとだけ参加して、そのまま最終の新幹線で帰りました。

papix 品川のMicrosoftさんが会場でしたからね。

そーだい 「ベストスピーカー賞取ったよ」と言われても「へー」くらいで、その時点では何も変わらなくて、それによって初めて中国地方の外の人の知り合いがたくさんできたことが大きかったですね。

ベストスピーカー賞を取っていなかったら、たぶんその後はてなに転職するきっかけとなってくれたSongmu(@songmu)さんと知り合いになっていなかったし、声を掛けようと考えてもらえなかったと思うんですよね。

Perlコミュニティとのつながりと広がり

papix 僕もそーだいさんのトークを聞いていて、すごい人がいるなと初めて認識しました。それまでは全然接点はなくて、はてなで初めて知り合いになったんです。

――エンジニア同士の中でもそういうものなんですね。

そーだい 僕はあんまりPerlコミュニティにいる人とのつながりがなかったんですよ。たぶん接点はいろいろあって、僕は2009年~2010年頃のTwitterが大きなつながりのきっかけになりました。もちろんはてなダイアリーなどで技術ブログをたくさん読んではいましたが、感覚は少年ジャンプの中の作者と変わらないですね。

――存在はしているけど、実感はないというか。

そーだい テレビの中よりも遠い存在でした。テレビの中の人は見るから容姿も雰囲気も分かるけど、はてなダイアリーってテキストだけじゃないですか。そうすると漫画の中のキャラとTwitterの中のキャラみたいで、あまり人間味を感じていなくて。本当に生き物として動くんだ、みたいな。それが東京に来てはてなに入ると、そういう人たちが輪郭を持ちました。はてなを通じてPerlのコミュニティや吉祥寺.pmに参加するようになって、そこが東京の強みだなと思いましたね。

オープンセミナー広島2020へ登壇する際に、東京と広島の違いという話をしました。

地方のコミュニティで成長するということ - そーだいなるらくがき帳

そーだい 東京という場所で一番大きいのは、そういうところだと思うんですよ。本当にすごい人に会える。会えると何がうれしいかというと、話せる。話せると何がうれしいかというと、テキストにない情報であったり、真の苦労話やノウハウについてコミュニケーションが取れる。それは大きなインセンティブで、すごいことだなと思っていて。自分が地方で考えて失敗してもう1回チャレンジするという1サイクルだったのが、5~6サイクル回っている知見を知ってから自分の1サイクル目が始められる。あれは自分の中ではブレイクスルーでした。

――東京はイベントやコミュニティが多い分だけ、いろいろな人と会えるという強みはありますね。

そーだい はてなに入った時点で、ある程度データベースコミュニティの中での僕の立ち位置はもうできてたんですよね。Perlとなると一部の人を除いてやっぱり全然知りませんでした。でも、コミュニティに参加すればそういう遠い人にもぱっと会って話ができて、知り合いができるし、僕のことを遠い人にも知ってもらえます。

やぱちーとYAPCとbuildersconで、それぞれ賞を取ったことがあるんですが、一番うれしかったのはYAPC::Kansai 2017 OSAKAで取った時です。

papix あー、はいはい。

YAPC::Kansai で RDBアンチパターン その2 について話してベストトーカー賞を取ってきた #yapcjapan - そーだいなるらくがき帳

そーだい 次の日はてなに出社した時「おめでとうございます」ってみんなが拍手してくれて、あれはめちゃくちゃうれしかったですねぇ。それまでコミュニティ活動と仕事って別だったんですよね。特に僕はエンタープライズ上がりで、趣味の時間に勉強する方がむしろ少数派だったから、すごくうれしくて。コミュニティ活動とビジネスが表裏一体の会社というのは良いことなんだなと感じました。

ベストトーク賞の裏側――勉強会駆動の学習方法

――「トークで賞を取る」の手前で、プロポーザルに応募するかしないかで迷ったり、採択されたらされたで緊張したり、準備として発表の練習やリハーサルをしたり……と、いくつもハードルがあると思うのですが、そーだいさんはそこを軽やかにこなしているように見えます。その裏側が知りたいなと思ったのですが、いつもどういう気持ちで臨んでいるのでしょう。

そーだい 僕は確かに、絶対値で言えばしゃべるのは得意な方だと思うんです。でも昔からそうだったかというと全然そんなことはなくて。学生時代はゲーセンに入り浸って格ゲー(格闘ゲーム)をする陰キャ(「陰気なキャラクター」のこと。内気なタイプ)側だったし、一対一でゲームをする時はしゃべらなくていいですし。

もともと得意ではなかったんですが、「しゃべる」って結局スキルなので、練習するとできるようになるんですよ。僕も最初からうまくいっていたわけじゃなかった。

僕が初めて発表したのはオープンラボ備後の第2回で、そこで10分のセッションだったのに、全然タイムマネジメントができてなくて40分くらいしゃべっちゃったんです。JRubyAndroidアプリを書くという内容だったんですが、「動かないです!」となってしまって、みんなで「なんだなんだ」ってライブデバッグが始まって。その時に「ちゃんと練習した?」と言われてはじめて「そうか、発表って練習するんだ」って気づいたんですね。

――そんなことがあったとは。

そーだい スキルを身につけるっていっても、大きく分けて2つあって。数も大事だし、知識もすごく大事。僕は知識という意味では、お世話になった人から「お前はプレゼンが下手すぎるからこの本を読め!」って、日本マイクロソフトの西脇資哲さんが書いた『エバンジェリスト養成講座』(翔泳社)を渡されました。

その中に書いてあったことなんですが、読みやすいプレゼンの資料にもタイプがいくつか分かれるんですね。例えば、社長タイプの人なら1つのページにたくさん書いてあった方がいい、感覚派の人は絵で書いてあった方がいい、物事を認識するときに文字の方がいい人もいれば図の方がいい人もいるし、音で聞いた方がいい人もいる。じゃあ、資料の中にたくさん書くのであれば、しゃべる時はそこには書かれていない、そのタイプでは分かりにくいと思う人向けのフォローをするんです。絵で書く時はテキストの方が分かりやすい人向けにしゃべる。テキストで書く時は絵で考えるような人のためにしゃべる。

「ここにりんごがある」といっても、文字であれ絵であれ、思い描くサイズは人それぞれ違うじゃないですか? 赤か青かももちろん違う。それを想像する。だから「手のひらに乗るような赤いりんご」と説明するのは大事ですよ、ということがいろいろ書いてあって。それを読んで「あーなるほどな」と思ったんですよね。

それで自分なりにスライドの作り方を練習し、うまい人のPowerPointの作り方や構成方法を勉強して、あとはひたすら繰り返すという感じで今のスタイルになりました。あとは、トークのやり方やトークスクリプトについても、やっぱりうまい人のものをたくさん聞く。うまいと思っても真似できる部分も真似できない部分もあるとは思いますし、スタイルが違う人もいますが、ビジネストークで上手だなと思う人のスキルは真似できると思うんですよね。あとはやっぱり経験で、ひたすら数です。たぶん僕は、普通の人の10倍くらいはしゃべってると思います。

――Twitterでの発信やブログの記事執筆などもたくさんされている上に、登壇の数もめちゃくちゃ多いですよね。それはご自身のエンジニアとしてのブランディングを考えてのことなのでしょうか。

そーだい 直近5年ぐらいはブランディングではなくて、依頼されてしゃべることが多いので、「恩送り」みたいな意味合いが強いです。勉強会に入った26歳の頃に「面白い!」と思って、聴衆ではなく参加者としてコミュニティの一部になりたくて「登壇しよう」と考えました。地方では参加者が5~10人くらいしかいないから、持ち回りでしゃべる感じになるんですよ。しゃべって、失敗して、の繰り返しです。でも、しゃべるとその内容についてめちゃくちゃ見直してくれるんですよね。

僕はAndroidにハマっていたけど、Androidのネットワークやフレームワークの仕組みはよく分かっていなかったんです。でも広島には組み込み系エンジニアが多くていろいろ教えてくれて。「教えてもらえるからしゃべった方が得だ」という経験がまずありました。小さな勉強会でしゃべると、それについて知っている人が教えてくれる。「次までに調べてきます」と言って、ネクストアクションを積んで、次の登壇までにそれをやる、というふうに「勉強会駆動で勉強する」ことが多かったですね。

そーだい 当時は3人の子育てをしながら働いている状態だったので、何でもかんでもはできないし、お金もないから本も買えないんですよね。僕が専門分野としてデータベースを選んだ理由の一つには、データベースの本は図書館にたくさんあるから買わなくてもいろいろ読めるということもありました。でもAndroidの本って全然なくて。ソースコードを読むのにも慣れていませんでしたが、そういうところも勉強会で教えてもらいました。

1ヶ月に1回勉強会があるので「それまでには勉強しよう」「次はこれについて話そう」など考えるし、1ヶ月に1回はしゃべる機会があるということで、1年に12回はしゃべることになるんですよね。そうすると「少なくとも時間は守れる」みたいになるんですよね。

papix それは確かに大事ですよね。

そーだい ブランディングのためというよりは、学習行動の1つの方法として勉強会での登壇を使っていました。そうするとTwitterの知り合いが増える。Twitterの知り合いも、つぶやくと教えてくれるんですよ。ブログに書いたことについても教えてくれたり、その内容について発表するとまた教えてくれる人が現れたりして、アウトプット駆動がTwitterや勉強会を通じて先に起きていた。それが数と質につながって、質が上がっていってブランドにつながったという感じですね。

トークの楽しさ、コミュニティの楽しさ

papix そーだいさんは勉強会の効能などについてちゃんと考えていてすごいんですよね。そーだいさんからすれば当たり前のことをやっているんだと思うんですけど、その「当たり前」ができる人って結構少ないと思っています。僕もできていないですし、率直にすごいなと思っています。ここで僕が言いたいなと思ったのは、みんながみんなそーだいさんのようにしなければならないというわけではない、ということです。

そーだいさんみたいにきちんとする人もいれば、そうではない人もいていいはずですし。向き不向きもありますよね。頑張れる人もいるし頑張れない人もいる。例えば健康面や家庭の事情などいろいろある方もいると思います。でも、そういう人にもぜひ登壇していただきたいなと思っています。

そーだい そこには僕の場合、大きく2つの要因があると思っています。1つは可処分時間。5日働くと2日間ですよね。僕は当時本当にお金がなかったから、1人で本を買って学ぶには限界があったんです。10代から学んでいる人たちに比べるとスタートが遅くて、基礎知識は足りない。お金もないし可処分時間もないからコミュニティを頼らざるを得なかったというのはあります。

もう1つは、コミュニティの中が楽しかった、ということです。登壇やアウトプットがスパイスになっていて、やらなくても楽しいけれど、やった方がもっと楽しいというだけなんですよね。この2つがうまくハマりましたね。

papix 「やった方が楽しい」はすごく分かります。

――papixさんは実際にコミュニティに関わってみて、どういうところが楽しいと感じたのでしょうか?

papix 初めて参加したイベントがYAPC::Asia Tokyo 2011で、その時僕は学生だったんです。今やっている学生向けの旅費支援制度の前身である「遠方の人の参加を支援する」という制度を使って参加したのですが、トークもしないといけないっていう決まりがあって、そこで学校の研究の話をしたのが初めての登壇、かつ勉強会参加でした。

「 SKYARC System presents 招待 LT (1) - papixさん」の詳細 - YAPC::Asia Tokyo 2011 [Oct 13, 14, 15]

むしろその時に「登壇するのがデフォルト」になってしまったので、それ以降はなるべく登壇するようにしていますね。

papix やっぱり登壇すると楽しいですし、教えてもらえますし、それがきっかけで会話が広がるということもあると思っています。懇親会で「あの時あの話をしていた○○さんですね」という感じで、相手側から話しに来てくれるんですよね。僕はそーだいさんみたいなコミュニケーション能力はないので、声を掛けるのは苦手なんですけど、自分から話すと会話が勝手に増えるので楽です。あとは、勉強会に行って登壇しないと「もったいない」という考え方になります。

そーだい わかる。美味しいところを食べないと、みたいな。

papix 僕はそーだいさんほどちゃんとは考えていないので、登壇するたびに好き勝手な話をしてますけど、そういうところから出てくる知見もあるはずですし。

――正解のスタイルなんてないですもんね。

papix そうです。僕は自由奔放派ですね。どっちが正解っていうのはないとは思っています。きちんとやる方がいいのかなと思いつつも、自分の話を聞いてくれる人はいるし、良かったという感想も聞いているので。YAPCでも、そーだいさんみたいに計画的な人も出てほしいし、僕みたいに好き勝手やるタイプの方にも出てほしいですし、運営側としてはどちらのタイプのトークも通るようにはしていますね。

そーだい いきなりYAPCくらいでかい場所でしゃべるのがプレッシャーに感じるなら、前夜祭とか、前前夜祭とか、後夜祭でもいいし、地方の勉強会でも全然いいですね。例えば広島では毎週水曜日に「すごい広島」という勉強会があるので、そこに少し話に行く、くらいでもいいと思います。

すごい広島 - connpass

そーだい 参加して5分のLTをするだけでもいい。場所がないとしゃべれないけど、場所さえあれば誰かがしゃべるし、場所を用意し続けることに意味があるという意図でずっと続いている勉強会なんです。「すごい広島」という名前にもそういう意味が込められていて、テーマは何でもいいし、何なら広島に関わることですらなくてもいい。技術の話でもいいし、マネジメントの話でもいいし、最近興味あることでも、何でもよくて。そして、そういう場所がなかったら、同じことを自分でやればいいと思うんです。

papix うんうん。作ればいいんです。

中四国地域のITコミュニティとYAPC::Hiroshimaのチャレンジ

papix 広島や岡山には、「何でもあり」なコミュニティが盛んな場所というイメージがあるんですよね。

そーだい 広島は3段階ぐらい世代交代していますね。正確にいえば瀬戸内にコミュニティがあって、活発に勉強会が行われています。それを始めたのが今50歳前後くらいの方々なんですが、それがTwitterで拡散されるようになったんですよね。それで僕らの第2世代が「面白い!」って参加して、引き継がれていって。第2世代にはいろいろなバックグラウンドの人たちが集まりました。JavaPHPC#の人たちが多くて、エンタープライズの人もWebの人もいます。

そもそも勉強会の数がないから、そこにぐっと人が集まるんですよね。そして「僕もやってみよう!」となった時に、そのメンバーが次のコミュニティにも移動するんですよ。「C#のコミュニティって面白いな」と思って、次はJavaだ!となると「じゃあJavaも行ってみよう」ということになり、「Javaも面白いな、知らないこといっぱいあるんだな、じゃあPHPは全然知らないけど行ってみようかな」……というな感じで少しずつ増えていって、第3世代にも引き継がれつつあります。あとは、中四国地域で「オープンセミナー」が行われています。

そーだい そこには「岡山に来てくれたから、僕も香川に行かなきゃ」とか「香川に来てくれたから広島も行かなきゃ」みたいな関係性があって、コミュニティの密度が高いですね。

papix 僕は大阪出身で東京で就職したんですが、関西や東京にはそういう流れはあんまりないですね。

そーだい 人の多さが関係しているんじゃないかな。

papix それぞれのコミュニティで成り立っていますね。それが良いかどうかというのはわかりませんが、中四国地域のような流れにはなりにくいかもしれません。

そーだい ドタキャンがすごく少なくて、参加率がすごい高いんです。9割くらいの人が来るし、キャンセルする場合は、手続きを踏んでキャンセルします。「なんか面倒くさいから行くのやめる」みたいなことはほぼないですね。100%の時もあります。パッションというか、熱量がだいぶ東京と違うと感じています。

papix いいコミュニティですね。歩留まりを7割くらいで見積もることもあるので。

――papixさんにお聞きしたいんですが、YAPC::Hiroshimaを開催するにあたって、中四国地域が熱い!みたいなところを意識されましたか?

papix 広島に決めた理由は、YAPCとしてチャレンジしたかったということがありますね。これまでYAPCって、その地域にコミュニティの母体があるところで開催してきたんです。広島には僕の知る限り母体はなかったので、やってみたいと思いました。

papix 先ほどそーだいさんがおっしゃった「何でもありな広島」の方々がいて手伝っていただけたからこそ、広島でYAPCというイベントをうまく受け入れてくれたのかなと思います。そして広島にゆかりのあるエンジニアといえばそーだいさん、と考えてゲストスピーカーをお願いしました。

――次はそーだいさんにお聞きしますが、ゲストスピーカーを引き受けてくださった際の感想を教えていただけますか?

そーだい YAPCは僕の人生を大きく変えてくれたコミュニティだと思っているので、僕は去年一昨年とスポンサーもしてきたし、やぱちーやYAPC::Kansaiのトークで賞を取っていなかったら僕の人生はこうなっていなかっただろうなと思うくらいに価値のあるコミュニティだと考えているので、コミュニティへの恩返しという意味があります。

それと同時に、広島のコミュニティで僕は育ったし、広島のコミュニティがあったから僕はエンジニアとしてやってこられたので、2つのコミュニティに同時に恩返しできればという意味で、ゲストスピーカーをさせていただけるのはありがたいです。恩返しの場所として参加して、僕がお世話になった人たちや、YAPCを通じて新しくコミュニティに入ってくる人へ情報発信をしていけたらと強く思っています。

――トークを聞きに来る方に対してメッセージがあればお聞かせください。

そーだい 「計画的偶発性」というものがありますよね。計画的偶発性って、「いろいろなところに行っていろいろな人やものに出会えば人生が変わるので、いろいろなところに行きましょう」という話だと思うんですが、人生が変わるタイミングって意外なところにあるし、それをチャンスだと認識することが重要なんです。

YAPCという場所は少なくとも僕にとってはその「人生が変わる」場所であり、「チャンス」だったんですね。それは「そーだいさんだったからそうだよね」という生存バイアスもあるかもしれませんが、新しく来てくれる方の人生を変える可能性もある場所です。

それは誰かのセッションかもしれないし、何気ないロビーでの会話かもしれないし、懇親会で「うちの会社に来ないか」と言われる話かもしれないし、ジョブボードを見て転職することかもしれないし、次の面白い勉強会に気づくことかもしれません。YAPCをはじめとするエンジニアコミュニティにいろいろなチャンスは転がっていると思います。その自分なりの「人生が変わる」きっかけや「チャンス」がどこかにあると思うから、見つけに来てもらいたいなと思いますね。

papix 僕もYAPCに人生を変えられたと思っています。だからこそ僕は運営側に回っていて、そういう場所をできるだけ続けていきたいと思っています。

そーだい 本当にそれだけの力があるんですよね。

papix Perlには勢いがないのかもしれませんが、人々が集まるPerlのコミュニティに価値がないというわけではありません。うまく持続可能になるようにしたいと思いながら、今スタッフとして活動しています。そーだいさんのように感じてもらえたらうれしいです。

Perlだから関係ないでしょ?」と思う方もいらっしゃると思うんですが、まあそういう点でいえば、そーだいさんもそんなにPerlを書いているわけではないと思うので。

そーだい 積極的に書いているわけではないですね!

papix そういう方でももちろん来ていただけるし、何だったらベストトーク賞も取れてしまう場所です。

そーだい 確かに。Perlの話はしたことはないです。「Perl Mongerのための○○」ってだいたい書いちゃう。

YAPCに限りませんが、今オフラインの勉強会って、復活の機運がすごい高まっているじゃないですか? だからこそ、今まで参加してない方に参加してほしいですね。

papix 確かにそうですね。

そーだい すべてがリセットされていて、これはチャンスだと思っています。みんなスタートラインが一緒で、ゼロスタートの状態です。

確かに僕らにとっては「強くてニューゲーム」です。でも、「強くてニューゲーム」の人じゃない、新しい世代の人が、自分をゼロからスタートさせるチャンスだと思っています。YAPCがコミュニティに参加するきっかけになるかもしれない。何かを始めるのに遅いということはなくて、20代だろうが30代だろうが40代だろうが何も関係ない。僕もそういう意味では、東京に出てきたのは30代からです。

もし、「僕はもう変われない」「今の仕事でこんなもんかな」と感じているのであれば、何か小さなことで人生がすごく変わると思います。そういう方ほど、ぜひ参加してほしいなと思っています。


2024年2月10日(土)に広島国際会議場広島県広島市中区)で開催されるYAPC::Hiroshima 2024のチケットは、絶賛発売中です! チケットの販売期間は、2024年1月10日(水)までの予定です。ぜひお買い忘れのないよう、以下のPassMarketからご購入ください。 豪華なゲストやセッションを用意して、スタッフ一同お待ちしております。 passmarket.yahoo.co.jp

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