2018年3月に沖縄・恩納村で開催された「YAPC::Okinawa 2018 ONNASON」(以下、YAPC::Okinawa)で、当時学生として運営に携わった八雲アナグラ(@AnaTofuZ)さんとcodehex(@codehex)さんに、YAPC運営の思い出や沖縄県内の技術コミュニティの活動、今後のYAPCについて思うことなどについて座談会形式で伺いました。聞き手はkobaken(@kfly8)です。後編はこちらからどうぞ。
Perlと技術コミュニティに触れた原点とは
――座談会の企画が持ち上がった時に、真っ先にアナグラさんとcodehexさんの名前が挙がりました。学生ながらYAPC::Okinawaを運営して成功に導いたということはもちろん、社会人になってからの活躍を目にしていることもあって、ぜひお話を伺えればと思います。まずは、お二人の自己紹介と、YAPCとの関わりについて聞かせていただけますか。
八雲アナグラさん(以下、アナグラ) 僕は沖縄出身ではなかったんですが、沖縄にある琉球大学に進みました。2016年に「Perl入学式 in沖縄」に参加した後、半ばcodehexさんとid:papixさん(JPA理事)に連れ込まれるような形でそのままOkinawa.pm(沖縄県本島を中心とするPerlユーザーのコミュニティ形成を目指す非営利の団体)の運営に加わりました。
アナグラ その流れでPerlを使う会社である株式会社はてなに入社して、今はPerlを書いて暮らしています。Perlコミュニティに積極的に入っていたのは、沖縄にいた頃、だいたい3年くらい前までですね。今は、コミュニティにはオンラインでたまに行く、という感じです。
――codehexさんはいかがですか?
codehexさん(以下、codehex) 僕も最初に学んだプログラミング言語がPerlなんです。当初はC言語を触ろうとしたんですが、Cって型がありますよね。僕のPerlの入門書は『プログラミングPerl』(オライリー・ジャパン)で、それを読んでいると「型宣言がない」っていう部分があって、「おっ、便利じゃん、文字列もいい感じに変数を宣言できて楽じゃん」という感じでPerlに入っていったんです。
大学に進んだら、プログラミングが強い、Rubyをメインとしている先輩がいて――その先輩はアナグラくんの研究室の先輩だったんですが――その人がRubyコミュニティにいて、自分がPerlをやっているから「沖縄にPerlコミュニティってないんですか?」と聞いたところ、Yomitan.pm(Yomitan Perl Mongers。沖縄県中部を中心とするPerlユーザーのコミュニティ形成を目指す非営利の団体。Okinawa.pmの前身)のことを教えてくれたんですよね。たまたま大学の近くで開催される予定があって、それに参加してみたのがきっかけで、コミュニティ活動に入り浸るようになりました。
――いま主に使っている言語は何ですか?
codehex 大学3年の頃から、並行処理が得意だからという理由でGoをバリバリ触るようになっていたんですが、最近ではGoは触れていなくて、ずっとTypeScriptを書いています。他にはCloudflare Workersがメインで、あとはReactですね。アナグラくんは大学卒業後もちゃんとPerlを貫き通しているから、僕よりもPerl愛が深いんじゃないかって思います。
アナグラ Perlが日常と化し始めていて、最近は「仕事のPerlには楽しみがない」っていう気持ちになっていますね。
codehex 最初にアナグラさんがコミュニティに来たきっかけって何でしたっけ? 最初からいた気がしたんだけど……。
アナグラ 大学2年の時に、講義でPerlを使うからという理由でPerl入学式に行きました。
codehex あー、そういう授業ありましたね。アナグラくんの研究室の担当教授でしたね。
アナグラ あの頃は確か、Perl入学式の後ろの部分とOkinawa.pmを一緒にやっていたんですよね。僕はOkinawa.pmのスタート時にはいませんでした。「YAPC::Asia Tokyo 2015」(以下、YAPC::Asia)にも行かなかったんです。
アナグラ 学科の必修講義として、2年生の後半から「オペレーティングシステム(OS)」に関する講義があったんです。OSの講義と言いつつOSについてほとんどやらないという講義で。その先生がPerlの本を書いていて、Perlが好きなので課題でPerlが出るという話があったんです。
2人は同じ大学の先輩と後輩同士
――同じ大学の先輩・後輩なんですよね。2人の関係性が気になっているんですが、自然とつながったんですか?
codehex 大学は同じなんですが、研究室は別です。
アナグラ 当時の学科は上下のつながりが濃かった世代だと思うんですよね。みんなTwitter(現「X」)をやっているし。
codehex 確かに。アナグラくんは割とみんなと仲良くしていたじゃないですか? 僕はもうずっとコードを書いていたから、あんまり上下のつながりがなかった……いえ、一応あったはあったけど、ほぼパソコンと向き合っていた気がします。
――codehexさんの専門分野について教えてください。
codehex さっき話したOSの講義を担当していた先生が割と低レイヤーを専門としていて、アナグラくんはそちらに興味があったんですが、僕は自分の好きなことをやりたくて、割と自由にいろいろとやらせてもらえて、論文を出さなくても卒業させてくれる研究室に進みました。
――僕の記憶が正しければ、codehexさんはXSを書いてませんでしたか?
codehex IoTを専門とする研究室だったんですが、僕は低レイヤーにも興味があって、その辺も触っていいと言われていたので、そこではいろいろと何でもやっていました。電子工作もやりましたし。Perlで僕がやったのは、Webアセンブリを作るためにXSを触ったり、Perlの構文解析のモジュールにあったバグを修正したりなどです。でも、アナグラくんも結構いろいろなことをやっていた気がするんですよね。
アナグラ 大学ではプログラミング言語を作る研究室にいたので、自分でも手を動かしていました。「大学のインフラの面倒を見る係」もしていて、オンプレの移行作業をしたりして。
――JPAのメンバーであるpapixが、「沖縄に活きの良い学生がいる」というのをJPAの理事会で報告してたんですよ。「沖縄に良い人たちがいるから、次は沖縄でYAPC、いけるんじゃないか?」って。その時はただ「すごい人いるんだな、いいねぇ」くらいの気持ちだったんですが、ちょっとGitHubなどを調べてみたら、 お二人ともゴリゴリ処理系のコードを書いていて、これはすごい人たちがいるって驚きました。
codehex アナグラくんはVNCクライアントみたいなものを作ってませんでした? あれはすごいなと思ってたんだよなぁ、個人的に。
アナグラ 僕の研究室で作っていた、Zoomの先駆けみたいなものですね。研究室の先生が運用していて、学生が持ち回りでコードを書く作業をやっていました。研究室のサーバーでJavaを立ち上げて、そのアプリにみんながつなぎに行ってリモートディスプレイをみんなで配信する、みたいな仕組みです。
codehex 琉球大学の講義でも普通に使われてましたね。教授が画面を共有したい時に、学生みんなでアプリにつないで、先生の画面を見ていました。動作も結構きびきび動いていて。今考えてみると異常にすごいなって思います。
活発な沖縄のコミュニティ活動とその背景
――沖縄といえば、僕が知っている人だとお二人以外に、沖縄出身で元同僚のまえけん(@maeken2010)さんという人がいるんですが、すごい優秀だなと思っているんです。たまたま天才たち・すごい人たちが集まったのか、沖縄にはすごい仕掛けや仕組みがあったのか、どちらなんでしょう。
アナグラ その時の沖縄はコミュニティ活動が異常に活発だったので、要因として「土壌がすごかった」というのはありますね。
codehex でも「コミュニティが活発だ」とはいっても、Perlに関しては大体アナグラくんのおかげだと思います。
アナグラ いやいや。「ハッカーズチャンプルー」(沖縄県内の既存ITコミュニティ/ユーザグループにより構成されるコミュニティ)もあったしOkinawa.rb(沖縄のRuby/Railsコミュニュティ)もあったし。
codehex そもそも沖縄のコミュニティの数って少なかったんですよ、当時。目立ったコミュニティとしては、JAWS-UG沖縄(Japan Amazon Web Services ユーザーグループ沖縄支部)、Okinawa.rb、Yomitan.pmくらい。
codehex Yomitan.pmは細々と活動していました。それが、「Perl入学式 in沖縄」が始まってからいろいろな人と交流するようになって、そこから盛り上がっていった印象がありますね。それこそアナグラくんが引っ張っていったので。
アナグラ Okinawa.pmはメンバーがやりたがったからやっていたみたいな感じなので、何ともいえないですけど……。
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後編では、沖縄のコミュニティ活動や、沖縄県外との交流によって生まれるもの・得たものなどについて伺っています! ぜひ後編もご覧ください。